銀行の広間ではバーンが共和国捜査局と交渉を続けていた。
兄をフォローすべく、フレアは人質の見張り役を代わっている。先ほどの騒動のせいか、人質たちは余計な動きをすまいと考えてなのか、皆固まって動かない。監視する側としてはありがたいことだった。何だかんだでバーンの行いが、自分達の計画を上手く導いているのだとフレアは信頼を強くする。
そんな彼の元におずおずと零がやってきて手首を差し出してきた。
「あの、私もあっちに行きます」
「え?」
「捕まってないと、お兄さんに怒られちゃうんでしょう?」
「……!」
罪悪感で胸が締め付けられる。
「その、さっきはありがとうございました。助けてくれて」
「いや……こっちこそ。怖い目に合わせて、本当にごめんね」
うなだれている零に対して、何か声をかけなければとは思うものの、加害者に何が言えるのかと悩みながらも話しかける。
「……俺はフレアっていうんだ。名前、教えてくれてありがとうね。レイちゃん」
「いえ」
「それと、縛ったりしないから安心して」
「でも……」
「俺の目の届くところに居てくれれば大丈夫だから」
所在なげな零の気を紛らわせようとする。
「じゃあこうしよう。俺の手伝いをしてくれるかい?」
「え?」
柔らかに微笑みながら続ける。
「俺が見ているあそこの人たちが、トイレに行きたそうだったり、飲み物が欲しそうだったり。そういう風に見えたら声をかけたいんだ。一緒にあの人たちの様子を見るのを助けて欲しいんだよ」
ぽかんとしていた零だったがキュッと唇を結んだのち、勇気を出すように笑顔で返した。
「わかりました」
2人のもとへ通信を終えたバーンがやってくる。
「今のところ順調だ。朝にはマスコミを寄越すってよ」
「そっか! やったね」
「で、お前らは何話してた?」
ジロリとバーンに睨まれて零は身をすくめる。
「この子に見張りの手伝いをお願いしたのさ」
「あ?」
バカなこと言ってんじゃねぇ、と弟分を叱りつけようとしたものの、自分に似て頑固
な性分を鑑みて、合理的に判断を下す。
「――分かったよ。油断すんじゃねぇぞ」
「うん」
「俺ァ、少し休む。その間は頼んだぞ」
最後に零を一瞥するとバーンは広間の一角にあるソファーに座り、目を閉じた。
バーンが眠ったことで人質たちも緊張が和らいだのだろう。円座で拘束されているとはいえ、こくりこくりと寝息を立てるものが多くなってきた。
束の間の安らぎとしじまで満たされる。
すでに時刻は3時を回っていた。
見張りを任されたフレアも広間全体が見渡せるよう、バーンとは別のソファーに腰掛けており、強い眠気に襲われてはいたが、兄貴分から任された責任を全うしようと気を張っている。隣では零が静かに寝息を立ててフレアにもたれかかっていた。
彼はなるべく身体を動かさないよう、起こさないようにしていたのだが、不意にビクンとして零が目を覚ます。
「ふぁ……?」
まだ頭は覚めていないようである。
「寝てていいよ」
「……あ」
状況を思い出したのか頭を振って零が姿勢を正した。
「ごめんなさい、寝ちゃってました」
「いいんだよ。レイちゃんはとっくに寝た方がいい時間だし」
ムッとしたように零が応えてくる。
「もう12歳です」
おっと、と想像もしていなかった反応に戸惑う。
「お父さんもお母さんもですけど。子供扱いしないでください。頼まれたことはちゃんとやるんですから」
「そっか。ごめんごめん――じゃあまた助けてもらおうかな。俺も起きてるの、辛くなってきたからさ。話し相手になってくれるかな?」
満面の笑みで得意げに、零は請け負った。
「もちろん!」
「ありがとう」
「なんでもおしゃべりしますとも!」
なんでも、か。
心強い言葉にふと気になっていることを尋ねてみる。
「じゃあ、聞いてみようかな。嫌ならイヤって言ってね」
「なんでも、です!」
「うん――ねぇ、レイちゃんはお父さんとお母さんのこと、好きかい?」
「もちろん! あ、でも……」
力強く答えてすぐに零は口ごもってしまった。
「どうかしたの?」
「ケンカしちゃって」
「叩かれたの?」
零はブンブンと大きく手を振って否定した。
「違うの! でも何でもあれやっちゃいけない、これやっちゃいけないって言うから……」
「怒鳴られたってこと?」
誰かに育ててもらうことは、意に沿わなければ明確な”罰”を伴うもの、と思い込んで育ってきた。それが異常なことであると知ったのは体が大きくなってからのことであり、幸せな家庭というものが本当に存在するのか半信半疑だった。
「えっと……」
感情をどう言い表せば良いのか、まだ自身の言葉を紡ぐには未成熟な少女は戸惑ってしまったようだ。
「ああ、変なコト聞いてたらごめんね。俺、親がいないから。興味があって」
「え……?」
「色々あってね――親ってどんなのか知りたかったんだ」
「あの、ごめんなさい!」
「いや、こっちこそ――って、謝ってばっかりだね」
バツが悪くてに苦笑いになる。
「まぁ、俺には兄貴がいるからさ。気にしないで」
「フレアさんのお兄さん……」
「おっかないところあるけどさ、俺にとっては唯一の家族なんだ」
零がおそるおそる聞いてくる。
「怖いのに?」
「優しいときもあるさ。それに怖い顔してても、心の中では兄弟のことを愛してくれてる――解るんだ、そういうの」
「……似てるから、わかるのかな」
「え?」
零の言ったことが理解ができずにぽかんとしてしまう。
「私、お父さんとお母さんと似てないから」
「……」
悲しげな零に慎重に尋ねる。
「何かあったのかい?」
「私、勉強があまり好きじゃなくて」
「うん」
少し間をおいて零が言葉を継ぐ。
「お父さんとお母さん、学者なの」
「わぁ、レイちゃんのご両親はすごい人たちなんだね!」
両親を褒められてはにかんだものの複雑そうな面持ちだ。
「うん。だけど私、勉強好きじゃないの」
「うん」
「本当にお母さんたちの子供なのかな……って」
自分に経験が無く、想像できない繊細な悲しみに相槌を止めてしまう。
「今日も勉強勉強ってうるさいから、逃げてきちゃって。でもどこ行けばいいのかわからないし。どうすれば良いのかわかんないし」
やはりその感情が分からなかったが、少しでも励ませるよう次第に涙ぐむ零のため頭をフル回転させる。
「ねぇ、さっき俺と兄貴が似てるって言ってくれたよね」
「……うん」
「顔が似てるから?」
「えっと……」
自分の内心をつかむのに慣れていないのであろう。少し考え込んでから、
「うん」
零ははっきり答えた。
予想した通りの答えである。
「性格は?」
「えっと……似てないかも。双子なのに」
「だろ。しかも双子じゃないんだ」
「え?」
きょとんとしている零に告げる。
「クローンなんだ、俺たち」
自分の知らない世界の、あまり聞きなれない言葉だからか、零は口が開いたままになる。
「全く同じ遺伝子なんだ。でも全然似てない。心も違うけど、ほら、顔つきだってよく見れば違わないかい?」
「……うん。フレアさんは優しい感じだけど。お兄さんは怖い顔してる」
フレアは笑った。
「そ。血は繋がってても、人間、みんな全然違うんだよ。どうかな、クローンの俺が言うんだから、間違いないと思わない?」
すぐには意味を理解できない少女だったが、勉強は嫌いでも賢いからだろう。青年の自虐的なジョークと、どこまでも温かな優しさに気づいたようだ。
「……そうかも」
「そうさ」
思わず吹き出してふたりは笑い合った。
広間に朗らかな笑い声が響き、ややあって共に口をつぐむ。
「っと、みんなが起きちゃうな。静かに静かに」
「うん。静かにしないと怒られちゃうね」
黎明も近い夜ふけの閉ざされた銀行の中で、青年と少女、加害者と被害者、全く奇妙な巡り合わせではあったが、家族の話は、確かにふたりの心を繋いだのだった。
ぐううう。
零のお腹が鳴って、フレアが微笑む。
「なんだかお腹が空いたなぁ。レイちゃんも何か食べる?」
はにかみながら少女は返事をする。
「うん」
フレアは席を立つと、申し訳なさげにバーンのソファーに近づく。少しくらい見張りがいなくても人質は逃げないと思うし、兄貴に対しても心苦しいけれど、しっかりと見張りを引き継いでから行きたかった。
「兄貴……」
「……なんだ」
さすがと言うべきか、彼は一声で目を覚ました。
「本当にごめん。レイちゃんとパントリーに行ってきても良いかな」
バーンは苦笑する。
「ダメだ、つったらやめるのか?」
「え?」
「行ってこいよ頑固モン。お前と違って俺ぁコイツら人質の気配なんざ、少しでもおかしけりゃ飛び起きるに決まってんだろ?」
そう言うと、バーンは再び目を閉じ、すぐに寝息を立て始めた。
ありがとう、兄貴――そう心でつぶやくとバーンは零を連れて、暗い廊下へと向かった。
明け方が近い。
もうじき狙撃時刻がやってくる。
零のことを不安に思っていた露弾だったが、長年の経験が彼を弾丸に変えてゆく。
ほとんど意識は無いままで身体だけが動く。
銃床を押し当てて肩でライフルを支え、スコープの十字を目標に合わせる。
そして。
彼は闇夜に溶けた。