外と隔たれた空間にいたからだろうか、零が出会ってから随分と時間が経っていたことにフレアは気づいた。
いよいよ夜明けである。
シャッターの閉められた行内では分からないが、バーンとフレアのような火車神教徒は、太陽と炎の神であるヨゴ=ウーを崇めるため日の出の時間が体に染み付いていた。
もうすぐマスコミがやってくるはずだ。そうすれば兄弟の目的は達せられ、もう悔いはない、はずだった。
零との別れの刻が近づく。
自分のような罪人が報われて良いはずがない。そう自覚していても胸に残る愛おしさを消し去ることができず、一日にも満たない間にできた妹だけが名残り惜しかった。
兄として彼女に何か残したい――
「そうだ」
自己満足なのかもしれない。それでも。
「レイ。一緒についてきて」
コツコツと足音が響く。
人気のない廊下をフレアと零は手を繋いで歩いてゆく。
顔を洗って泣いた目もしっかりすすぎ、落ち着いた零はすっかり元の美しさを取り戻していた。
腫れなければいいな、こんなにも美しく可愛いのだから――彼は心から思った。
「このあたりが丁度いいかな」
シャッターが降りて朝陽の入らない窓辺に兄妹は着いた。
「お兄ちゃん。ここは?」
「うん。ここはね、たぶんこの建物で一番、太陽が昇るのが見える場所なんだ」
「太陽?」
「そう。スターメドウでは馴染みがないのかもしれないけどね。俺たちの故郷――ゴドウィンには炎と太陽を神様だって信じてる人が多いんだ。俺もそう」
「そうなんだ」
「たぶん寒いからだろうね。暖かいものが神様に見える……そんな感じさ」
零の手とフレアの繋がっていた手が離れる。
「今から今日のお祈りをするんだ。良かったら、レイもやり方を覚えてみない?」
「――うん!」
フレアは実践しながら零に口伝する。
まず太陽が昇るほうを向いて、目を閉じる。
次に胸の前で手のひらを合わせる。
そして祈る。
「簡単だろ?」
目を閉じたままフレアは笑う。
「うん、簡単だ」
後ろで見ている零の笑顔を彼は感じた。
「でも、祈るってどうすればいいんだろ……何か考えるの?」
「うーん、そうだなぁ……何も考えなくていいんだけど。神様に謝る人もいるね」
「謝る?」
「悪いことしてごめんなさいって神様に告白して、許してもらうんだ。そうして朝陽と共に新しい自分になる。もっと良い自分になるんだ」
「へぇ、面白いね」
「さぁ祈ろう」
ひざまずき、頭を垂れて手のひらを合わせると、目を閉じたフレアは祈り始める。
この最期にできた妹が幸せに暮らせますように。
ご両親のように零が勉強を好きになれますように。
そして、罪深いことは十分承知しているけれど、もし叶うのであれば神よ、自分の行いが少しでも世のためになるのであれば、俺の人生の祝福を零に分け与えたまえ――
しゅるり。
何か布が擦れるような音がした。
「お兄ちゃん」
「うん?」
まだ祈り始めてないのかな、と彼は苦笑した。
仕方のない妹だなと思った矢先、朗らかな声が告げる。
「私、猫舌じゃないの」
そこでフレアの意識は途絶えた。
――そろそろか。
バーンは身体を起こす。
鍛え上げられた彼の肉体は痛々しくなっていたが、弟の暴力にも負けず、精神はいささかも弱ってはいなかった。
祈りには丁度良い時間である。
(それにしてもフレアのヤツまだ戻ってねぇのか)
怪訝に思っているバーンを呼ぶ声がする。
「兄貴ー!」
廊下の方からである。
弟の大きな声にやれやれと頭をかく。
(バカが……人質が起きたら面倒だろうが)
やや寝ぼけたままバーンは廊下の、フレアの声のする方へ向かう。
ダラダラと歩いていたバーンだったがピタと足を止めた。
おかしい。
何かがおかしいと彼の直感は告げていた。
自分の勘を信じて違和感の元凶を探り、気づく。
(朝陽が……差してるだと!?)
シャッターで暗いはずの廊下が明るくなっている。
深呼吸をし、バーンは仕込み銃を起動させると、その窓に向かう
長い廊下にある柱に隠れながら、少しずつ進んでゆく。
問題の窓が見えてきたところでバーンは息を飲んだ。
窓辺にフレアが倒れていた。
焦りながらも彼は周囲への警戒を怠らずに弟の元へ駆けつける。
「おい、フレア――」
弟を抱きかかえてすぐにバーンは悟った。
死んでいる。
目玉は飛び出んばかりに張り出され、尖るように突き出された舌は根っこまで見えるほどだった。首には絞殺の跡が赤く残っており、そしてフレアを抱いた時にヒラリと落ちたそれが犯人を示していた。
青いリボン。
最愛の者を骸と変えた者を彼は理解した。
「おはよう、兄貴」
バーンの背から弟の声がした。
怒りに震えながらゆっくりと立ち上がり、振り返って彼女を凝視する。
零が小型端末を手に、静かに立っていた――弟の声がそこから発せられていたことは明らかだった。
「何故だ」
「なぜ?」
「弟は……フレアはお前のことを愛していたんだぞ」
「そうなの?」
もはや失うものは無いバーンは飛びかかりたい衝動を抑えて問い詰める。
「そうなの、だと。テメェは機械か何かか?」
バーンの意図が分からないとばかりに零は答えに困っている。
なんということだ。
こんなヤツに俺の弟は。
「最初からなのか?」
「?」
「最初から弟を殺すつもりで近づいたのか?」
「違うよ」
「違う?」
何と答えるべきか少し考えた零は言葉を選び、言った。
「任務だっただけだよ」
バーンは泣いた。
ただ泣いた。
「ヨゴ=ウーよ! 聖なる炎の神よ! フレアの魂に安らぎをッ!」
銃口を向けようと腕を上げた瞬間――
華が咲いた。
露弾が放った弾丸はバーンの頭部を撃ち抜いて、血煙をあげた。
命を吸って花びらを散らせたそれは、旋風と共に零の横をかすめていった。
返り血を浴びて零の顔と服が赤く染まる。
顔についた血を拭おうともせず、表情ひとつ変えずに彼女は手にした端末に報告する。
「こちら零。ケルベロス、応答して」
『こちらケルベロス。どうやら上手くやったようだな』
「ううん」
『何かトラブルでも?』
零は淡々と答える。
「服、汚れたよ」