遠く遠く、肉眼では視認できない彼方で赤色灯が明滅している。
警察のものだろう。
何台かが銀行の前に停車しており、周りには持ち主と思しき官憲然とした人々が、なにやら言い争っていた。
――地元警察と連邦廻りってとこか?
いや、と青年は目を凝らす。
中には態度が尊大な者が認められ、立ち姿から軍人であることが推察でき、また他にも頭を掻きながら遠目に苛立つ者もいた。どこの部局かは分からないが、いずれにせよ銀行強盗のような案件には似つかわしくない奇妙な光景だった。
『ラストバレット、聞こえるか』
上司からの通信で、青年は目をスコープから離す。
「ンだよ。こちら露弾、聞こえてンぞ」
真夜中で人気のない街角の、さらに人が立ち入らないであろうフェンスもない、背の高いビルディングの屋上にその青年、的場露弾はいた。
『今さら君に学びを期待はしないが……』
「誰も聞いてやしねぇだろが」
『規律の話だ。君の名でなくコードネームを』
イヤホンから聞こえる男性とも女性とも分からない声色の、いつもの口喧しい指導に露弾は苛立ちながらも、しぶしぶ自分のコードネームで応える。
「こちらラストバレット……クソ、慣れねぇな……で、なんだよ」
『任務についてだ。今回は背景も理解してもらう』
「ああ? 狙う、引く、ブッ殺す! それで終いじゃねェのかよ?」
サプレッサー付きの狙撃銃を持ち直しながら悪態をつく。
『そうもいかん。今回から君もナンバーズだからな』
ナンバーズ。
露弾の所属する組織の、上位者である精鋭たちの格である。
任命される際には各々がそれまでブラックハウンズ――露弾の所属する秘匿機関――で活動してきた功績を讃える尊称が、そのままコードネームとして贈られるのが習わしだ。大それたしきたり、儀礼的なものではあったが、実際的な面もある。ブラックハウンズという組織はその性質から、少数精鋭、隠密かつ電撃的な作戦を主眼とするため、一声で畏敬を感じさせる呼称というのは、大規模作戦でメンバーが集合した時の通りが良く、端的に実力を示すのに一役買っていた。
露弾に与えられた尊称はラストバレット――錆びた弾丸、だった。彼はあらゆる銃火器に精通した達人なのだが、未だ十代後半の若者、それも素行が大変悪いという札付きだったため、組織内での評判は芳しくない。というよりも、誰が雇ったのだという陰口とともに、やっかみを受けていた。そんな彼の実力と組織内への配慮を織り込んで、どんな銃火器も扱う者、という本義から、どんなガラクタでも扱う者、嘲りを含んだものへと変えられたのだった。
もっとも。
露弾本人は毛ほども気にかけていない。
彼にしてみれば、身寄りもなくただ任務に赴き、弾を籠め、構え、引く。任務を繰り返すだけの日々だったので、すごいと言われてもああそうですかと乾いた感想しか思い浮かばなかった。
一方で考えを巡らせるのは好きではないので、ややっこしい話や責任とは極力距離を置きたがった。
「ンなめんどくせぇもの、オレはなりたかねぇよ」
『そうか。それではシルバーバレットの面目も立たないな』
「あ? てめぇ、クソジジイは関係ねぇだろうがよ」
イヤホン越しの遠回しな責めに、ただでさえ小さな露弾の堪忍袋が膨れあがる。
『弟子の不出来は師の不始末、という道理だよ。全く。君のようなただ粗暴で、口の利き方も知らない野卑な輩を所属させるだけでなく、精鋭として選ぶとは。いつからブラックハウンズは託児所になったのかと頭の痛いことだ……きっと無敵のシルバーバレットも寄る年波には勝てず、判断力が鈍ったのだろうな』
ギリギリと歯噛みしながら露弾は挑発に耐えた。
普段であれば喧嘩を売られた瞬間、すわと掴みかかって相手が気を失っても殴り続ける、まさに露弾という名に相応しい鉄砲玉のような男なのだが、そんな彼にも泣き所がある。それが恩師であり、二人目の父にも等しい実行部隊長・シルバーバレットだった。
「……ケルベロス、任務の説明をしてくれ」
『くれ?』
「下さい…..ッ」
本当にコイツとは合わねぇ、と彼は思った。
ケルベロスと名乗る露弾の上司は、実行部隊の実務を司る副隊長である。およそ全ての作戦で関わらざるを得ないのだが、生真面目で慇懃、かつ厳格な姿勢は直情的で考えることが嫌いな露弾とウマが合うはずもなく、水と油のようなやりとりが繰り広げられるのが常だった。
『よろしい、情報を送る。準備を』
露弾は速やかにゴーグルを掛ける。
生体を認識したデバイスが起動して、視界に電子情報が重なり合ってゆく。露弾が再び遠く離れた銀行の方角に目を向けると、風景に重なるように2人の大柄な男性が立体的に映し出され、すぐ近くにはパーソナルデータが文字情報として示された。
『今回の作戦は”暗殺”だ』
「ああ? もったいぶって結局それかよ」
『大人しく聞いていなさい』
諭すような口調にいらりとしつつも口をつぐむ。
『バーンとフレアと名乗る2人組が今回のターゲットだ。この2人の要求を受け入れず、他の政府部局に先んじられることなく殺害・回収する。もちろん人質に犠牲者を出してはならない――それが我々の使命だ』
露弾は映し出された2人の姿勢を見て判断する。
「左手に何か仕込んでやがるな。ショットガンってとこか……サイボーグか?」
『ああ。だが左腕だけだ』
「ンにしても似てんな。双子か?」
『情報を良く見ろ。そういう粗忽なところは直してもらわないとな』
軽く舌打ちして露弾は2人のパーソナルデータをまじまじと読んでゆく。
不意にある項目で目が留まる。
生物学的特記事項・クローン兵。
前大戦の遺物として悪名高く、公には認められていない存在である。
この国スターメドウでは人間のクローンは違法行為として定められているがものの、ゴドウィンとレイライ、他の強国においては民生は禁止されているものの、兵器としては規制されておらず、大戦後にどのような研究がなされているのかはヴェールに包まれている。
「バカでも分かるわ。クローン兵ってとこがヤベェ部分だな?」
『その通り。それこそが我々ブラックハウンズの出動理由だ』
露弾のゴーグルに新たな情報が追加される。
『諜報部の調査と予測によれば、ターゲットの目的は世間にクローンの実態をリークすることと思われる』
「なんだよ、ならさせてやりゃいいじゃねぇか」
『そう事は単純ではないよ。君、やはり座学をやり直すべきだな』
「いちいち……教えていただけますでしょうかァ!?」
『まあ時間もない、端的に。我が国スターメドウでは先の大戦でクローン兵と交戦し、心的外傷を負ったものが多い。その影響は未だ祖国を蝕んでいて、非常にデリケートな話題、という事だよ』
「ンだよ。やっぱメンドクセェからブッ殺すってことじゃねぇか」
露弾の愚痴を聞き流してケルベロスは続ける。
『これが要求を受け入れない背景。次に秘密裏にという点について』
ディスプレイに表示されていた情報が書き換えられて、露弾の目の前に5人のスーツ姿の人物が映し出される。
『地元警察、共和国捜査局、麻薬取締局、国土安全保障省、それに軍部。皆がターゲットを拘束したがっている』
「ああ?」
『諜報部の分析通り、恐らくターゲットの目論見通りなのだろう。管轄を交錯させることでこちら側の対応を混乱させて、自分達のリークを成功しやすくするという』
「お役所のバカどもよりよっぽど賢いじゃねぇか」
『身内を悪様に言うのは感心しないぞ』
「で、だからコイツらがヘマする前にオレが殺んなきゃいけねェと」
『その理解で構わない』
露弾はゴーグルを外して再びスナイパーライフルを構えると、スコープから”5人のバカ”を覗き込む。
「コイツら殺っちまえばメンドくささが減るよなァ?」
『仕事熱心で助かるよ――説明は以上だ。あとは作戦通り進めば予め伝えていた通り、君の居る東側面の窓にターゲットが現れたら、狙撃しろ』
さっさと話を終えたい露弾は素直に返事をする。
「了解」
通信を切ろうとした矢先、ケルベロスが言葉を継いだ。
『最後に。銀行に潜入しているのは零だ』
「あ? 誰だよ。諜報部のヤツらに興味ねぇ」
『美代零だ。忘れてはいないだろう?』
ミシロ。
遠い過去を呼び起こす響き。
耳にした瞬間、露弾の心臓は凍りついた。
「――何、言ってやがる」
『以前、君が助けた少女だが。実はあの後、ウチで訓練させていてな』
「ちょっと待てよ」
『予想通り優秀だったよ。諜報部員として、今回の作戦ではラストバレット、君の狙撃ポイントにターゲットを誘導する任務に就いている』
「待てっつってんだろうが、ブチ殺すぞテメェ!!」
しばし2人は沈黙する。
露弾は小さく呟く。
「まだ、子供じゃねぇか」
苛烈な態度が消え失せて、嘘のように弱々しくなった青年に対し、ケルベロスは毅然と応える。
『君もそうだったろう。そして、彼女はただの子供ではない』